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2013年2月16日 (土)

[中高/ヒューマンライツ部]「SYD奨励賞(全国)優秀賞」受賞

2月11日、(東京都渋谷区千駄ヶ谷SYDビルにて)、ヒューマンライツ部が「第7回SYD奨励賞優秀賞」(高校生部門1位 / 上位の文部科学大臣賞が他の高校ですから実質全国2位)の表彰を受けました。

SYD修養団は創立107年、青少年の健全なる育成をはかるための教育を行うとともに、 “愛と汗”の精神を実践して、世界の福祉と平和に寄与することを目的とする日本で最も古い全国組織の社会教育(ボランティア)団体のひとつです。(SYDとは「Supporting Your Dreams」の略)

この日、2011年度ヒューマンライツ部長の山本真帆さん(6年)が出席。クリスタルトロフィー、副賞をいただきました。(副賞10万円はボランティア活動資金として寄付)

ヒューマンライツ部は、「手と手から -中高生として地域や国際社会の平和と人権の環を広げるために貢献する」をテーマに活動するボランティアと調査研究のクラブです。

今回は特に、日頃の地域でのボランティア活動(各種施設でのボランティアやオリジナル絵本の読み聞かせ活動, 福山空襲の記録冊子化等々)、および東日本大震災被災者支援活動を評価していただきました。

原稿を用いない(持たず、読まずの)山本真帆さんの受賞スピーチにひときわ大きなの拍手が送られました。そのスピーチを掲載し、感謝とお礼に代えさせていただきます。
これまで支えてくださった方々すべてに心から感謝申し上げます。(部員一同)

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SYD(修養団)ボランティア奨励賞 優秀賞受賞 記念スピーチ
2013.02.11
SYDビル(東京都千駄ヶ谷)にて 2011年度H.R.C部長 山本真帆

今日は震災から1年と11ヶ月目です。
そのような日に、名誉ある賞をいただき、心から感謝申し上げます。

私は広島県福山市の盈進高等学校3年、ヒューマンライツ部2011年度部長の山本真帆です。
私の学校は創立1904年、108年続いてきた中高一貫校です。

私は中学2年から5年間、ヒューマンライツ部で活動してきました。
今回は、先輩・後輩・仲間、そしてこれまで出会ってきた方々を代表する気持ちでお話させていただきます。

ヒューマンライツ部は「手と手から―中高生として地域や国際社会の平和と人権の環を広げるために貢献する―」をテーマに活動するボランティアと調査研究を行うクラブです。

2009~2010年は、ホロコーストに関する手作りの絵本の制作と読み聞かせ活動を軌道にのせた年でした。
地元のホロコースト記念館の大塚館長の半生を記録し、『明日へつなぐ平和のバトン―失った生命を見つめて/ホロコーストから学ぶ』を2年がかりで制作しました。
現在、地域で、多くの読み聞かせの機会をいただいています。

2011年は「福山空襲を記録する」を、活動の中心にすえました。
震災で「ふるさと」の大切さを実感した私たちは、地元福山の惨禍について見直すべきだと考えました。卒業生の星野由幸さんから聞き取りを行い、記録冊子にまとめ、図書館などに寄贈しました。
「焼夷弾に逃げまどう母が、『もうダメだ。由幸、ここで一緒に死のう』と言ったんです」という証言は衝撃的でした。

記録することは記憶すること。「過去に学ぶ」貴重な学習の場となりました。

2011年3月11日以降、「私たちはこれからも被災者とともにあります」のテーマのもと、支援活動を開始しました。

放射線被害に悲しむ福島県と、津波被害が甚大だった宮城県を訪れ、交流しました。

福島では67年前に広島で被爆し、現在人生2度目の放射線被害に苦しむ男性とそのご家族との交流でした。放射線が人々の暮らしや命を脅かしているという状況を目の当たりにしました。
宮城では、仮設住宅を回る中で出会った50代の女性が、夫を亡くされた経験を涙ながらに語ってくださいました。この女性とはずっと手紙での交流を続けています。

直筆の手紙は、被災者の直接的で切実な声です。
私たちは失った命を見つめるとともに、生き残ったことで後ろめたさを感じている人々の心にも目を向けなければならないと、この女性との交流を通して感じています。

毎月11日を「被災者に思いを寄せる日」として、学校全体で支援に取り組むようにしました。
「忘れない・寄り添い続ける」ことの大切さを再確認するためです。

また、市民のみなさまの前で支援活動の報告をさせていただく機会が増え、仲間と、被災者の痛んで癒えない心を発信しました。

「寄り添うとは、その人が自ら立ち上がることができるよう、共にそこにいるということ」
これも支援活動を通して出会った阪神大震災の被災家族の方から学んだことです。

私は被爆地ヒロシマに暮らす人間として、核廃絶を訴え続けることが私の義務だと考えています。
「もう誰にも自分と同じ思いをさせてはならない」
この素朴で、しかし崇高な被爆者の願いは、私たちの平和活動の原点です。
この言葉を胸に、私たちはこれまで5年間、広島市と協力して「核廃絶署名」を行い、5年間で通算約18万筆を国連に届けてきました。

出会った方々は口々に「中高生が来てくれることが嬉しい」と言ってくださいます。
私はとっても幸せになります。
互いに思いを共有しあう時、両者に希望が芽生え、人として対等なつながりがつくられる、そう思うからです。

私たちはこれからも、「声なき声」に、真摯に耳を傾け、その声から学びます。
そして、地域に根ざした活動を根本に、感謝の気持ちと笑顔を忘れず、これからもずっと、地道に謙虚に仲間とともに行動し続けます。

本日は誠にありがとうございました。