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2012年11月 8日 (木)

[高校] 第49回全国高校生作文コンテスト 文部科学大臣奨励賞受賞

第49回全国高校生作文コンテスト(大東文化大学主催)において、5年(高2)勝村岳世君の作品が「文部科学大臣奨励賞」に選ばれました。
このコンクールは「日本のエネルギー」をテーマに1600字程度の作文が課せられたもので、全国から寄せられた2022編の中で最優秀作品に選ばれました。
この結果・作品は大東文化大学のホームページにも掲載されています。

 

「耳を澄ます、見えない『弱者』の声に」

 政府は中長期のエネルギー政策の策定に向け、国民に3択のアンケートを行った。
 2030年時点の原発依存度「0%」「15%」「20~25%」―私は選ぶことができない。
 脱原発を訴えるデモ行進が、この夏、全国で行われている。7月下旬に首相官邸周辺で行われたデモには20万人の人々が集まった。―私は参加できない。
 なぜなら、原発問題は社会全体の問題だと思うからである。社会はつながっている。原発は原発だけの問題ではないのである。
 私は、一昨年までの10年間を、瀬戸内海に浮かぶ小さな島、大崎上島で過ごした。人口約8000人、産業は柑橘栽培と造船業。近年は少子高齢化で人口は減少の一途をたどり、介護者不足が深刻な問題となっている、そんな島だ。さらに本土からの架橋はなく、上陸には必ず船を要するといういわゆる離島だ。
 そんな大崎上島ではあるが、今もなお独立した「町」として存在している。なぜそうあれるかと言えば、紛れもなくそこに発電所があるからである。
 町の財政はかなり小規模な自治体ながら潤っていたのは子ども心にも理解できた。町立の小中学校にはすべてエアコンが完備され、町内に図書館や大型の講堂を有するなど、公共施設も大変充実していたからだ。また医療に関しても、町が患者を島外に搬送するだけの船を所有するなど安心して暮らせる体制が整っていた。そういった離島らしからぬ潤沢な公共サービスの背景には発電所という裏づけがあったのである。今思えば、町内にはかなり多くのあった土木業者の存在も、公共事業の多さが影響していたのだと推測がつく。
 島の多くの生活が、発電所によってまかなわれているということは、裏を返せば発電所がなくなれば、たちまち町の財政は成り立たなくなることを意味している。その結果当然島を追われることになるのは必至である。
 少し前のことになるが、福井県が大飯原発の再稼動を容認した件に関して議論があったが、同じような背景が福井県にはあるのだと思う。原発事故の危険に晒されたいと願う人なんて絶対にいないはずだからだ。
 ある人が、福島での原発事故の被災者を「弱者」と比喩し、寄り添いたいと言っているのを聞いた。しかしその時私は、私の住んでいたあの島の人々の顔を痛切に思い出したのである。彼らも、福島の人々も、その他発電所を抱える全国の方々も、ほんとうは「弱者」なのではないかと思い当たったのだ。光が当たりにくい彼らに対しても被災者同様、置かれている立場を汲む必要があると考える。
 「原発をなくすためには、どうすればいいですか?」「太陽光発電で!」―原発の問題はそんな単純ではない。繰り返して言う、社会はつながっているのだ。
 だから私は政府の実施したアンケートには答えられない。デモも行えない。このアンケートは現在取りまとめ中だと言うが、8月17日のメディアにはその大半が「0%案支持」だったと取り上げられていた。どうやら「弱者」の声は届いていない。
 現在の原子力発電関連の問題における最大の問題は、田舎に電気を作らせ、都会で浪費するというシステムが出来上がってしまっていることだと思う。そして田舎は生きるためにその選択を受け入れるしかないという現実。
 私は今答えを出すのは早すぎると思う。しかし必ず解決しなければならない問題であるとも思う。私たち国民1人1人が考え始めること、それがスタートだ。見えない「弱者」の声に耳を傾けることができるようになった日、これこそ原発問題、社会問題が解決を見る日ではないかと思うのだ。
 私は昨夏、震災の影響を色濃く受けた宮城を訪れた。「今は今しかない」―この思いが私を駆り立てた動機である。そこで報道だけでは知り得ないことを多く目にすることができた。私はいずれこの答えを出すのはもしかしたら私たち、若い世代かもしれないとも考えている。将来的に原発という社会問題を打破するためにいつでもアクションを起こせる、そんな自分でありたい。