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2012年11月 2日 (金)

[高校] 第14回後藤新平・新渡戸稲造記念 拓殖大学高校生・留学生作文コンクール 入選

第14回後藤新平・新渡戸稲造記念 拓殖大学高校生・留学生作文コンクール(拓殖大学主催)において、5年(高2)佐道今人君、松井千典さんの入選が決まりました。このコンクールは「私が体験した国際協力・国際理解」もしくは「私が今できる社会貢献」という2テーマから1テーマを選び、2000字で論述するもので、全国1284件の応募の中から選ばれました。2人とも4年(高1)時の国際理解フィールドワークにおけるマレーシアでの体験をもとに書いた作品が「私が体験した国際協力・国際理解」部門での受賞となりました。 この結果は拓殖大学のホームページにも掲載されています。

「マレーシアの教育制度から学んだこと」盈進高等学校2年 佐道 今人

日本では現在、小学校・中学校・高校・大学という六・三・三・四の四段階に分かれた教育制度が施行されている。また、時間割も六・七時間で1コマの授業が行われている。私はこのシステムを当たり前のものと享受し、世界で一般的な制度であるものと思っていた。

 しかし、今回学校の国際理解学習プログラムで訪れたマレーシアではそうではなかった。

 マレーシアでは午前・午後で別々に授業を行う二部制を導入され、非常に興味深い教育活動が行われている。日本でも職業を持つ人などのために高校や大学で「夜間クラス」が存在するケースはあるが、それは特例的なものである。ではなぜマレーシアではこのような制度が施行されているのだろうか。

 この制度について初めて耳にしたとき、私にある疑問が湧きあがった。二部制にしてしまうと、それぞれの学習時間は必然と短くなり、国民全体の教育水準が下がってしまうのではないかということである。そして子どもたちが残された半日をどのように過ごしているのだろうかということも気になった。

 しかし現地で直接聞いてみたところ二部制の理由はその義務教育のシステムにあるのだということが分かった。マレーシアでは初等教育6年、中等教育5年、大学予備教育2年が義務教育となっており、中等教育まで無料というシステムになっている。これは日本よりもかなり教育熱心だと言えよう。しかし都市部では生徒の数が教室収容数を越えているため学年ごとに登校する時間帯を変える二部制が敷かれているのだという。

 また、いくら無償の義務教育期間が長くても、マレーシアには少なからず貧富の差が存在する。貧しい家庭の子どもたちは国からの援助をもらい、勉学に励んでいる。その援助の中には学費はもちろんのこと制服代、教科書代、その上食事代も含まれている。どのような家庭に生まれても勉強することができるという国の姿勢は見習うべきものであると感じた。

 それではもう一つの疑問、残された時間を生徒たちはどのように使っているのかということである。もちろん貧しい家庭の子は家の手伝いや生活のためにそれぞれができる役割を担っているのだろうが、一般的な子どもたちはどうなのだろうか。

 答えは課外活動を自分で選択して、自分の伸ばしたい分野を極める時間に用いているということだった。スポーツのしたい子どもはスポーツ教室の時間、英語やマレー語以外の言語を学びたい子どもは語学の時間、文化的活動でもよければ、ボランティアなどの社会的活動でもよいというのだ。ちなみに私たちをガイドしてくださった方のお子さんは「バドミントンが大好きで、熱中しているよ」とのことだった。なんと自由な国ではないか。

 しかしここで私はこのプログラムの最中に感じたある出来事を思い出した。それは交流をおこなった学校でのことである。この学校に通う生徒はフィリピンからの移民の系統を汲む貧しい家庭の生徒が多く、将来は彼らの両親がそうであるように漁師か作業員になることが多いらしいのだが、その生徒たちが話す流暢な英語ときたら、彼らの前で英語を話すのが億劫になるほどであった。私たちの方がずっとずっと学校という空間の中で、長く机についているのにも関わらず、である。私は非常に恥ずかしい思いで一杯になった。

 このように学校や教育といったテーマ一つの中でも、私自身が「発展途上」にあると認識していたマレーシアで学ぶべきことが見つかったわけだが、最後に日本ではやはり問題になることの多い「いじめ」という現象について考えてみたい。テレビや新聞を賑わしているニュースを見ただけでも他者を大事にできないという現実が今、私たちの生きる学校空間に横たわっている。しかしマレーシアで次のようなこと聞いて目から鱗が落ちる思いがした。それは、

 「マレーシアでは集団で誰かをいじめるようなことはしない。」

 この言葉の後には「やるときは一対一だ」という言葉も添えられていたのだが、それはさておき、どうしてこんなことが言えるのだろうか。答えはマレーシアという国の持つ最大の特徴にあった。イスラム教徒の多いマレー系、仏教を信仰する中国系、ヒンドゥー教のインド系など、顔や服装を見れば、そこが多民族国家であることは一目瞭然である国。いろいろな人種のいる地域であるからこそ、各人の文化と考え方を認め、尊重する考え方が自然と身についているのだろうと思われる。今回のフィールドワークは将来教師を目指している私にとって大きな示唆と宿題を与えてくれたものだった。時間をかけてこの宿題を完成させていきたいと考えている。

「おにぎりから見えた世界」盈進高等学校2年 松井 千典

今年の3月8日。マレーシアでの学習旅行から帰宅した夜、我が家の食卓には沢山の料理が並んだ。旅の疲れからか、それとも冷めやらぬ興奮からか、私には食欲がなかった。しかし、そんな私を一番ほっとさせてくれたのは、母の握ってくれたおにぎりであった。そのおにぎりを食べながら、私はこれまでの旅で見聞した数々の体験を振り返っていた。

初めて訪れたマレーシアでは、言語も文化も宗教も日本のそれとは大きく異なっており、戸惑うことが多かった。特に多民族社会と言う言葉の通り、様々な人種・文化が混在していること、そしてそれらが協調的に成り立っているということ自体が驚くべきことだった。

しかしマレーシアと日本にも共通点はある。それは彼らが「米」を主食にしていることだ。「米」は私たち日本人にとってソウルフードとも言える食材である。そんな「米」を生きる糧としている人々が日本から5000キロ離れたマレーシアにもいるということは私の世界観を大きく変える事実であった。

現地で米を食べてまず感じたのはそのパサパサした食感である。炊きたてが喜ばれる日本の米とは違い、柔らかくて冷めているのだ。米の形状も細長く、微妙な色と香りも感じたため、これはおそらく私たちが普段食べているジャポニカ米ではないということを直感した。現地のガイドさんの話では、かつてマレーシアにも水田は多く見られたが、今は少なくなっており、約70%の米をベトナムや中国から輸入しているということだった。おそらくアジアの熱帯地域で多く栽培されているインディカ米なのではないかと思い当たった。

さらにマレーシアで日本のような米を食べたいと思ったときは、韓国産の米を買うとよいと聞いた。韓国の屋台で売られている「キンパ」が日本の海苔巻きとほぼ同じ味・形状であったことを思い出した私は納得した。そして同じアジアにおける韓国との距離感をさらに近く感じた。

世界における米文化の広がりを考えるとき、思い出したことがあった。一昨年にアメリカのロサンゼルスを訪れた際にスーパーで米を見かける機会があったのだ。アメリカ西海岸で日本のブランド種「コシヒカリ」や「アキタコマチ」が栽培されるようになったという。日本と同じ品種の米を作っても成分や水分量等が大きく関係しているのだろうか、ホームステイ先でもパサパサ感は否めないものがあったが、米を加工して調理するという現地ならではの工夫を体験的に知ることができた。

ところが一方で主食を米とする日本では米離れが問題になっている。食生活の簡便化はコンビニエンスストアやファストフード店の普及を見ても明白である。かつての一家団欒で食卓を囲む光景は核家族化の時代を迎え、孤食時代へと突入していると言えよう。アメリカで「コシヒカリ」を食べた私が、日本でマクドナルドのハンバーガーを食べているという現実は少し、いやかなりちぐはぐだ。だが、これと同じ現象がマレーシアでも起こっているということを耳にした。若者たちを中心として都市部ではハンバーガー店やフライドチキンの店が出店してき始めたというのだ。まさに食の欧米化と言われる現象ではあるが、私は欧米化という言葉よりは「単一化」という言葉の方がふさわしいのではないかと思う。

マレーシアから帰国した3日後、日本は東日本大震災から丸1年を迎えた。津波による水田への浸水が塩害を引き起こし、米どころである東北地方では今後数年に渡り水稲栽培ができないというニュース。福島の原発問題による風評被害で安全な米が食べられなかったり、何ヶ月間もかけて手塩にかけて育てた米が放射能汚染で安全性が確認できていなかったりしているという新聞記事。いずれも私だけでなく日本中の人が心を痛めてこれらの情報を目や耳にしたことであろう。 そのとき私は再び思い出したのである。日本に帰ってきて久しぶりに食べた母のおにぎりのおいしさを、そして安心感を。世界のあちこちで目にした米、耳にした米、そして口にした米。そのどれもが私の本当の居場所を思い出させてくれた。そして同時に身近な日本の中に、今居場所を感じられないで生活している人がいるという現実を思い知らされた。帰る場所があるという喜びをおにぎりが教えてくれたということを私は忘れないようにしたい。