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2012年11月 2日 (金)

[高校] 第12回立命館論文大賞「論文」部門大賞受賞

第12回立命館論文大賞(立命館大学主催)において、5年(高2)村上誠一郎君が「論文」部門で大賞を受賞する通知をいただきました。 立命館論文大賞は論文部門(6000字程度)と小論文部門(3000字程度)に分かれており、今回は「水と人類」というテーマが課された論文部門での受賞となりました。

この結果は立命館論文大賞のホームページに掲載されるとともに、11月18日(日)、京都府の立命館大学において表彰式が予定されています。

※2012年11月19日追記…表彰式に出席いたしました。

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村上君は、環境科学研究部の副部長としてこれまで5年間にわたって 芦田川の環境保全に努めてきました。論文では芦田川を活動拠点に学んだ5年間の歩みを中心に、水環境の問題に対する考察をおこなうとともに、国際理解FWでの体験、さらに未来への展望を語っています。原稿用紙15枚の大作の抜粋を以下にご紹介いたします。

川の水環境の保全・再生を目指して  ~タナゴが教えてくれた未来~(抜粋) 盈進高等学校2年 村上誠一郎

<序章 はじめに>

私はこれまでの17年間、瀬戸内海に浮かぶ因島という島で育ってきた。周囲を海に囲まれ森や林が自然の姿のまま生きづいている島だ。春は祖父母と一緒に山でタケノコを掘ったし、夏から秋にかけてはセミ取りに夢中になった。冬になれば木にみかんを刺してそれをついばみに来る鳥を眺める毎日――それらは私の暮らしの歳時記であった。

しかしそんな島育ちの私に5年前転機が訪れた。高速バスで約1時間かかる島外の中学校へ進学することになったのだ。そしてそこで水質汚濁問題を抱えた「芦田川」に出会うことになる。自然環境、特に水環境の保全・再生ために私たちができることは何か、「芦田川」を活動拠点として学んだ5年間の歩みについて述べたい。

<第1章 身近な川を守る>
第1節 芦田川とは
第2節 芦田川水質汚濁の原因
第3節 私たちの活動
第4節 タナゴの保護活動を通して

<第2章 日本の川に目を向ける>
第1節 日本の川の治水の歴史
第2節 日本の水環境を考える
第3節 身近な水問題は日本の環境問題へ

<第3章 世界の川に目を向ける>
第1節 世界の中の日本
第2節 マレーシアで出会った川

<終章 おわりに>

 この5年間は私にとって、芦田川という地域の川を拠点に水環境の保全には何が必要なのかを考え行動する日々だった。因島から福山市に出て知った川の問題、日本各地の中高生と交流して学んだ川の問題、そして実際に世界に出て目にした川の問題。これらは再び私の目を私たちの川、芦田川に向けさせてくれた。私個人の結論としては、他の生き物への影響が大きく人間の生活だけを守るためだけに作られたような川にはやはり賛成できない。また短絡的な考えで川の形を変えたことで、人々の川への関心を薄くしてしまったことに大きな問題があると思う。その結果川へゴミなどを捨てる人が現れ始めたからだ。こうなるともはや割れ窓の法則である。川の形を変えた結果、川の環境が悪化する事となったのだ。しかしこれは川の氾濫の被害を受けることのない、島の人間だからそのようなことが言えるのかもしれない。川のそばに住む人にしてみれば、氾濫のたびに被害を受けたのでは生活が成り立たないがゆえに堤防を高くし、川を三面コンクリート張りにしてもらったはずだ。だから一概に三面コンクリート張りの川は良くないとは言えない。自然護岸にも長所、短所がある。コンクリート張りの川にも長所、短所がある。だからこそ歴史の先人たちは様々な知恵を使って川に無理強いをさせずに川を治めてきた。富山和子氏の書いた『川は生きている』という本に次のような言葉がある。「(中略)こうした川のうったえを、わたしたちは、しずかにきいてあげなければなりません。そして、川とわたしたちの生活のむすびつきを、もういちどじっくりと、考えてみようではありませんか。」

 私たち高校生にできることは非常に微力だ。川を工事したり、画期的な方法を生み出し実行したりすることなどは到底できない。しかし、私たちにしかできないこともあるのではないだろうか。過去の歴史に縛られない柔軟な発想で、世界の仲間と打ち解ける心。そして私たちの前にはまだ大きな可能性を孕んだ「未来」が待ち受けているという事実。私は芦田川のタナゴたちの「小さないのち」の声に耳を澄ますことで、水問題解決の扉を開くことができた。そして将来は理科教師として「未来」の子どもたちに「小さないのち」の声を聞かせてやることで、この扉の続きに道をつくっていくことをライフワークにしたいと夢見ている。